2006年12月25日

水に敵なし

「水からの伝言」は面白いね 
わが国 さかんに道徳授業で取り入れてるらしい

水に朝晩
「ありがとう!」もしくは「馬鹿野郎!」と言い続けていると
結晶 つまり氷になったときに違いが出るという話

「ありがとう」のほうは美しく「馬鹿」のほうはそれなりに

で 例えばあびる優とかヒットラーとか
世間的に悪、とされている人の名前と並べて
善人いますね ヘレン・ケラーとか

善悪ふたつの名前を書いた紙片を水に漬けておいても違うんだそうです
悪のほうはモー汚れてしまうわけだね 三浦和義だとどうなのか 
蛭子能収は?島田紳介は?
水に聞いた方が早いんじゃないか「水は答えを知っている」

ニセ科学 こういうの信じる人は世間に一定数いますね 
「ありがとう」は「馬鹿野郎!」という言葉よりいい言葉だ、と思っている人 

世間に詐欺師は大勢いますが 彼らがカモに「馬鹿野郎!」といいますか
「最高」「がんばろう」「ありがとう」
うまいこといって金を騙し取るのが詐欺師でありましょう

「イヤ言葉には罪はない 使っている人が悪いのだ」
そんなら「水からの伝言」実験して発表した人がいい人かどうか確かめたのか
それって誰が確かめる

dengon200.jpg

オレがテキトー言ってイイなら言うけど
これ書いた人は「いい人」に思えない 単なる金稼ぎの出鱈目だろう
そもそも水におつむは無いが オレが水ならノーという

勿論オレの私見であります 反対意見はあなたの私見
科学に私見は許されません 仮説の立証に実験を繰り返す
何度実験しても同じ結果が出るからこそ定理と呼ばれ真理となる

「水からの伝言」懐疑派の意見に
「水にほんとうに意思がないって証明に、反証実験してみりゃいいじゃん」
オレもそう思ってた でもこの辺読んで改めました 
http://www.gakushuin.ac.jp/~881791/fs/md/exp2.html
http://kxk.makibishi.jp/hado_q1.html

悪魔の証明といいますが 証拠がないという証拠は出せない
信者はいずれ聞く耳をもたない 科学者に反証責任はない 

物理学を根底からひっくり返す どう考えてもでたらめな説に
有能な学者がいちいち反証していたら
お金が時間がいくらあっても足りないわけで 
わざわざやった人も居ますが本当に大変だったろう

ところで
ナイジェリア ファンクの王様フェラ・クティには
「ウォーター・ノー・ゲット・エネミー」いう唄があります
http://hometown.aol.com/afbeat/myhomepage/index.html

「水に敵なし」 歌詞こんな感じ

「洗濯したいなら水が要る 水を汲んで来なくちゃ
スープを作るなら水が要る 水を汲んで来なくちゃ

熱っぽい? なら水で冷やさなきゃ
子供達が育つのに水は欠かせない

もし君の子が
水に溺れて死んだとしても 君には水が欠かせない

水が無くっちゃ生きていけない(水がなくっちゃね)
水には誰も勝てやしない(水がなくっちゃね)」


さらに以下も私見であるが
みんな「信じる」ってコトバ本当に好きだね 
好きなら安売りするのやめたらいいと思う

「信じる」は「疑う」同様 それ自体いいことでもなんでもないでしょ
人は万やむをえなく何かを信じて生きている 
家族や友人 会社や教師 歴史や法律 科学や常識
おかしいと思えば疑ってバランスをとってオトナをやっている

全ての言葉を信じない人をわれわれは狂人と呼ぶ 言葉を全て信じる人と同様に

弱い人間には強い信心が必要で わが国には今それがナイ
かわりに疑似科学があって自己啓発セミナーがあってネズミ講があって
「チョン死ね」と掲示板に書き込む匿名の憂国者達がいて「がんばろう」J-ポップがあるわけです

彼らもオレもここ読んでるあなた方も 信じたいことだけを信じている
5年前この本を知ったとき「こんなの信じる人がいるなんて信じられない」
とオレは思った 

「水からの伝言」テレビで特集した翌日 上司が本気で興奮していて 
この件に触れるのを控えるようにした 馬鹿に話しても時間のムダだ
エセ科学が何故悪いのか 信じることが何故いけないのか
そもそも「信じる」とは何なのか 信者に説いて何になる

大阪大学に菊池誠という男がいる 彼はそうは思わなかった



「しつけも道徳も、人間が自分の頭で考えなくてはならないこと 
自然科学に教わるものではない」
「単純な二分法で結論だけを求めるのは思考停止」
「ところがニセ科学は断言してくれます。
ニセ科学は実に小気味よく物事に白黒をつけてくれます。
この思い切りの良さは本当の科学には決して期待できないものです。」
(全文書き起こし)http://b.hatena.ne.jp/entry/3527481

民放ではコレ放送できないらしい 真偽は不明 スポンサーの問題か

「こんなこと言っても信者には無駄」「徒労」「何を今さら」と批判の声も多い
批判の方法の批判だね 

以下 菊池誠さんのブログから引用

「さすがにコメントの長さが100くらいともなると、議論が詳細になってしまうのですが、少々「大同より小異を議論している」感じが強くなりつつあるので、悩み中。正直、「水伝批判」よりも「水伝の批判のしかた批判」に時間をとられるようになってきたのは辛いですね(弱音)。」

「実は、mixiでビリーバー対応したときより、こっちのほうが大変であることがわかったとです(^^;。すんません。みんな、一家言あるからねえ。」

「どうも「相手側の多様性」を認めないかたが多いようで、困惑します。
「相手はこうに違いない」と決めつけて考えた「説明の論理」は相手側が違っていれば役に立たない。しかし、相手側は多様だし、そもそも論理的ですらない場合もあるので。
相手を説得できる万能の論理も説明もない、ということを認めないかぎり、「その方法はだめで、これでなきゃ」の繰り返しになりますが、そもそも想定している「相手」が違っていれば、その議論は決して収束しません。
まあ、「どう考えても間違っている方法」というのもあるので、どれでも同程度によいとは言えないのですが、少なくとも「正解はない(それほど悪くないと考えられる途は複数ある)」ことと「誰かに対して有効な説明が、他の相手にも有効とは限らない」ということくらいは納得してもらったほうがいいかと思います。
「自分のやり方がベストでそれ以外はだめ」と思ってるかたは、ちょいと立ち止まっていただく必要がある。
 
前に書きましたが、真のビリーバーは最後に「科学(ここは好きに置き換えてください)ではそうかもしれないけど、でも私は信じる」という無敵の発言をします。これを説得できる論理はこの世の中にありえないのだ、ということは、まず頭にいれておくべきです。論理のわかる人たちが「その論理はだめで、この論理のほうが」とどれほど議論しても、メタレベルでそれを否定する人たちにはなんの効力もないんです。
この言い方が存在する(そして、過去に何度も繰り返し使われてきた)ことからだけでも、説得のための「万能の説明や論理」はありえないことがわかります。」
http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1131189215

「人も科学も万能じゃない」「おかしな話を信じるな」
それを説くのがこれほどむつかしいとは




「水からの伝言」を信じないでください


kikulog 菊池誠さんのブログ

「水からの伝言」を教育現場に持ち込んではならないと考えるわけ

波動注意報

「水からの伝言」リンク集
posted by ヒサミチ at 05:38 | Comment(0) | TrackBack(0) | リンク このエントリーを含むはてなブックマーク
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